墨人会 渡邊佐和子の作品がご覧いただけます。
墨と身体による墨象アートをお楽しみください。
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墨象(ぼくしょう)とは?
墨象とは一言であらわすと墨を使ったアートです。かつて前衛書道と呼ばれた時代もあり、一般的にはこの呼び名のほうが馴染みがあるかもしれません。一見してアクション・ペインティングなどに似ているように見えますが、墨象にはこうした行為や表現にいたる歴史があります。
もとより日本人にとって墨で描かれた作品とは、大陸から渡ってきた書や山水画などが知られています。また、江戸時代には僧の白隠や良寛などによる自由闊達な書が民衆の目に触れました。明治時代に入り書の文化が、日本美術を確立した岡倉天心らによって国際的に紹介されると、新たな活躍の場として海外へ目を向ける作家たちが現れるようになりました。 彼らはこれまでの書の要素を残しつつ、芸術として確立するため姿形を重視することを求めました。そして、表意文字としての直裁的な目的を超え、文字の意味をイメージとして描く行為に芸術性を持たせた墨象が芽生ます。
昭和20年、比田井南谷により墨象第一号というべき心線作品「電のヴァリエーション」が発表され書道界に大きな反響を呼びます。書を文字でなく、線と捉える考えが批評家の間にも広がりその表現は新たな創意として芸術全体に新風を巻き起こすことになりました。
白隠「鉄棒」
神勝寺蔵 写真:堀出 恒夫
比田井南谷
「電のヴァリエーション」
千葉市美術館蔵
墨象と抽象
比田井南谷が心線芸術によって、「書=文字」からの脱却を図った頃、上田桑鳩を中心とする奎星会の森田子龍は、「書は文字表現の場として成立する」という前提からパラダイムの転換を模索しました。それは、文字を媒介しながらも命の躍動ともいえる身体性による意味表現であり書の定義を超えるものです。子龍が残した「点を打つ心」という言葉。それは、意外にも漢字を解さない外国人に影響を与えたのです。
墨象に影響を受けたアメリカの抽象画家フランツ・クラインは子龍と交流を深めます。墨象は積極的に海外に紹介されました。その潮流は、日本国内の西洋絵画に逆輸入ともいえる影響を与えて受容されました。やがて、ジャクソン・ポロックのようなアクション・ペインティングや前衛芸術集団の具体美術の登場ともあいまって、墨象は抽象表現主義やアンフォルメルに影響を与えたと考えられます。1952年、森田子龍は墨人会を結成し、雑誌『墨人』を創刊しました。それまでの活動の詳細が掲載され、フランツ・クラインとの書簡のやり取りも紹介されています。こうして墨象は一般にも広く認められることになり、世代を超えて今日の墨人会や渡邊佐和子の活躍に続くことになりました。
「墨美」創刊号(1952)
題字:井上有一
師の森田子龍と(1997年12月)
比田井南谷(1912〜1999)
明治45年神奈川県鎌倉市生まれ。父は「現代書道の父」比田井天来。旧制中学時代から王羲之の「蘭亭序」の臨書など書に触れた。南谷の書は、芸術的本質が鍛錬された線表現にある、との信念を一貫して持ち続けたことであり「電のヴァリエーション」以降も心線作品を発表し続けた。加えて用材に対する試行錯誤がある。昭和42年頃は、リキテックスのジェッソを用いるなど、書や絵画の枠組みにとらわれない活動を続けた。
森田子龍(1912-1998)
大正元年、兵庫県豊岡に生まれる。上田桑鳩に師事。日満支書道展で文部大臣賞受賞。昭和27年、書の革新を目指して墨人会を結成し、運動の志向として視る目の是正、因習的作家生活の打破、創作による書制作の三点を唱える。月刊誌『墨美』を創刊、大燈、白隠ら禅の墨蹟をはじめ新旧の作品を紹介する一方、創作活動を続ける。京都府より美術工芸功労者、京都市より文化功労者として表彰される。